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2009年7月

2009年7月21日 (火)

鴨川ホルモーを観た

Kamogawa01_3 8年間の学生時代を京都で過ごした私は、常々京都が舞台の映画は見たいと思っている。

一見ばかばかしいが都大路や鴨川流域などで繰り広げられるという「鴨川ホルモー」、それはいったいなにか?という好奇心とミーハー性が頭をもたげてきて、映画館に足を運んだ。

案の定、京都の懐かしい名所、街角、大学が出てきてノスタルジアを感じ、あるいは風景が変わっていないことに安堵感を覚えたりもした。一方、4大学の軍団が「オニ」というキャラクター人形を操ってホルモーというバトルゲームを繰り広げる。この「オニ」は良くできているし、動きも面白い。私も干ブドウ好きであるが、干しブドウで元気になるところがいい。ただ、この映画は何をいいたいのだろうか、と考えてもよく判らない。陰陽思想とどんな関連あるのか?。また、挿入歌はなぜ、懐かしい「レナウン娘」か・・・・・。このような映画は理屈で観ると面白くないのだろうな、と考えていた。そこに、「やはり原本を読んでみることが、よりよく判るのでは」、といっしょに観た妻のアドバイスがあった。文庫本を買って読んでみた。

本を読むと、作者の主張がよく判ったように思う。登場人物の心象風景などを軽妙洒脱によく表現されていることに気がついた。これは京大青竜会のメンバー間で繰り広げられるいわば青春小説であると。しかも、ストーリーには全くいやみがなく、素直で後味がよい。この真面目さにほっとする。あとは、いわば背景である。その背景については、よく理解できないが、これこそ作者「万城目学」流の世界を作っているのであろう。この本や映画が多くの人に読まれ観られているらしいが、このまじめな「青春論」と「万城目ワールド」にそのわけがあるのではなかろうか。

この「鴨川ホルモー」に触発され、森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」をピックアップした。なぜ、森見か。両者は同年齢層・京大卒、作品では同じ京都を舞台に展開している作家のようであるからである。森見はこの作品で周五郎賞を受賞したとのこと。周五郎は私が好きな作家の一人であるが、「何故周五郎賞なのか?」と思いながら読んでいる。

「万城目ワールド」とは違った「森見ワールド」があるように思う。で、そのキモは何か?これから、その疑問を解いていきたい。楽しみである。(090720・N)

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2009年7月 9日 (木)

ハウジング雑考 11

日・中・韓の入浴様式

「ハウジング雑考 7」に続き、またまた風呂の話である。

入浴の共通目的は、古今東西、ヒトが裸になり、お湯と水場合によればタオルや石鹸類を使い体を清潔にする行為である。日本では、さらに加えて、健康保持・増進あるいは“裸の付き合い”によるコミュニケーションの手段にもなる。

入浴様式は歴史や風土によって大きく違う。

現代日本の家庭では、とにかく清潔好き・風呂好きの国民性もあり、毎日のように湯につかり浴槽の外に出て体を洗う。ゆったりと時間をかけ、誰にも邪魔されることなく、いい気持になり癒される。子どもが小さい間は、親と子あるいは孫との“裸の付き合いが”できるまたとない時間でもある。

ところで、日本でもこの2~30年で多くの家庭にシャワーも導入された。シャワーのみで済ます場合もあるだろうが、日々の入浴に代えるという人は少ない。しかし、どうも中国と韓国では入浴はシャワーで終わりというケースが一般的の様である。

中国はどうか。特に大都市での近年の集合住宅では、ヨーロッパスタイルの浴室が多く、一方では、日本製の多機能なユニットバスも普及しつつある。ただし、一般家庭ではシャワーのみも多いようだ。乾燥した気候・風土の、あるいは外敵の襲来も考えられるような国では、長い歴史のなかでゆったりと風呂に入るといった習慣が身についていないのかもしれない。あるいは、日本のように水が豊富ではないことも関連しているのかもしれない。ちなみに、日本ではお金などを、“湯水のように使う”、というが、中国では“土のように使う”と言うらしい。

韓国はどうか。韓国の多くの家庭はシャワーだけのところが多い。また、日本同様浴槽があり、外にでて体を洗うこともあるそうだ。しかし、日本の銭湯にサウナを合わせ、かつ飲食や娯楽的要素をもった「チンジルバン」という施設が街中に開業され、そこがよく利用される。日本でも喧伝されている韓国式「垢すり」のできる場所である。日本の銭湯もそうであるが、地域交流の場にもなっている。歴史的には、中国同様、寒くあるいは空気が乾燥していることから体の垢も時々落とせばよく、このような入浴様式になったのか。(勤め先大学のネイティブ教員等からのヒアリングによる・090709)

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2009年7月 3日 (金)

ハウジング雑考 10

洗濯様式

日本では、「・・・おばあさんは、川で洗濯に・・・」と「桃太郎」にもあるように、かつては川や井戸の水を使い、洗濯板でゴシゴシと衣服の洗濯を行なってきた。多くの場合川や井戸は人々の共同利用であり、そこではまさしく“井戸端会議”が開かれ、交流の場でもあった。

戦後も、電気動力による洗濯機が出現するまでは、水は水道になり、お湯をあるいは石鹸ではなく各種洗剤も使うようにはなってきたものの、やはり洗濯板とタライが一般的であった。一方、各家庭で水道が普及することにより、洗濯は住宅内部での家事のひとつになり、井戸端会議もなくなった。それ以来、外注のクリーニング屋さんも健在ではあるが、住宅内での洗濯方式には変化がない。

ところが、洗濯機の登場で洗濯板とタライでの洗濯方法が一変した。革命的であった。主婦の家事労働軽減化に大きな役割を果たしたのである。

戦後、一般化した頃の洗濯機は、垂直のアルミ製撹拌板が回転して、洗濯槽のなかの洗濯物をかき混ぜていた。絞り機が付いているものもあり、洗った後は、2本の筒棒状ゴムの間に洗濯物を通し、ハンドルによって水を切っていた。50年ほど前の話である。私も子どもの時の経験がある。

その後洗濯機も、攪拌型から噴流式へ、脱水専用の槽を持った二槽式へ、さらにはまとめて一槽式へ。そして、別途乾燥機も普及しだし、現在では、省スペース化のメリットもあって一槽式で、乾燥もできかつ節水型も登場している。今や、洗濯物を洗濯機に入れて水道の蛇口をひねり、スイッチをオンにすると後は取り出して干すだけ、乾燥もできるあるいはお湯も要らないといった、“究極の全自動洗濯機”になっている。洗濯機の普及がここまで進むと、干す・取り入れるという作業のみで洗濯労働が終わり、ということになる。今後マイナーチェインジはあるだろうが、洗濯機の技術的改善・改良といえば何があるのだろうか。

ただ、一直線にこの何でも出来る全自動一槽式に収斂してしまうとは、考えがたい。たまたま、昨日(09年7月2日)の朝TVで放映していたが、二槽式も結構売れているそうである。高齢者は何かとその方がいいとのことで、洗濯機も多様化傾向がうかがえる。

ちなみにという事で・・・・

住宅設計側から見て、洗濯機の登場で必要になったものは何か。一般には見落とされるが、置き場空間とパンの用意である。公団でも、1955年発足当初頃供給の住宅には洗濯機の置き場は考えられていなかった。古い公団住宅では、洗濯機の置き場に困り、かなり無理して狭い玄関ホールや禁止されていたバルコーに置いていた。これを読まれた方の中には、「そう、そう」と、うなずかれる方もおありでは。

また、洗濯機置き場は、脱衣場のなかに設計される。風呂に入るとき汚れた洗濯物を洗濯機に入れるのに都合がいいからである。大概、どこの家でも脱衣場に洗面化粧台があり、置き場と浴室も併せてセットになっている。洗濯機パンはFRP(ガラス繊維入り強化プラスティック)製が一般的で、洗濯機からの万一の水漏れに対応している(1階には不要)。

洗濯機パンは、家の中でも見過ごしてしまう設備機器の一部であるが、なくては困るものなのである。(090703)

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