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2009年5月

2009年5月19日 (火)

通勤沿道の建替えによる住まいの変貌

住宅公団から大学に転職して12年を越えた。

この間、JR六甲道駅から約30分の道のりをほぼ毎日往復歩いてきた。JR六甲道駅から北へ向い、阪急六甲駅を越え六甲山裾にある大学まで、沿道周辺のすまいの変化を見ながら、通っている。

この通勤路の沿道「まち空間」の建て替わりについては、二つの駅周辺での商業系、山の手の住宅系と分かれるが、とにかくその展開が速い。かつまた、JR駅前の震災復興再開発事業による超高層への建替えから、飲食店などでの度重なる改装、戸建住宅建替え、そして、大学東側の都市機構建替えによる高層住宅の出現等々、多様でもある。

阪急六甲駅から大学へ至る通勤路周辺では、山手で場所柄戸建住宅の建替えが進む。一見、「まだ住めるのでは」、「建替えなくともリニューアルでまだ対応できるのでは」、と思えるような戸建住宅があっというまに無くなり、建替え工事が始まる。また、阪急六甲駅から登り坂を大学へ進むと、街角にあった4階建て店舗付き住棟が除却され、建替わった高層分譲マンションが聳え立つ。道路境界ぎりぎりまでの12階建て高層は圧迫感が強い。外装は柔らかい明るい色のタイル総張りで透明ガラスを多用し、エントランス部は2層吹き抜け、入り口付近には簡単なカスケードがしつらえてあり、住棟足元の敷地境界には柵がなく小花が植えられている。確かにファサードは垢抜けしている。しかし建替え後の店舗数は、従前の半分程度3店だけで、後のテナントは追われてしまったことになる。

大学のすぐ下には、酒造会社社長の邸宅があった。これも、高層分譲マンションに建て替わった。施工も担当したある大手ゼネコンの手になる設計で、さすが瀟洒なデザインである。屋敷内にあったうっそうとした木々や石積みの擁壁も再利用されている。しかしながら、かつての森の中の屋根すら見えないような一軒家のお屋敷であったから一層、住棟2棟の巨大さはスケールアウトでかつ圧倒される。 

また、大学のすぐ東側には都市機構による建替え団地がある。建替わった14階建賃貸住棟も高層かつ密度であり、中層団地のヒューマンなスケール感は無くなった。建替え後家賃の高額化で戻れない高齢者も多かった。その手前には、小規模な中層社宅1棟あった。その敷地の狭さ、隣接北側の既存住宅、川沿いの湿気など考えると、とても分譲マンションが建つ環境や立地にはないと思われる。が、変形かつ奥行きの薄い中層マンションが河岸にへばりついたように建ってしまった。社宅の住人達はどこに行ったのか。

他にもまだまだ建替え事例はある。戸建が3戸連長屋風賃貸住宅へ、戸建と横の空き地を合わせた敷地に中層分譲マンション、あるいは建替えを前提に建物が解体されたがずっと空き地のままといったケースもある。

以上のように、個人的な通勤路沿道の僅か12年間でのすまいの変容をみたとき、「これでもかと」いわんばかりに、目いっぱいの高層化あるいは高密化のマンションへの建替えが主流である。かつ、その事業は一気に進みスピードも速い。一方で、その建替え事業においては、主人公であるべき住みなれた多くの人が追われている実態がある。

何かおかしい。住み続けることが出来ず、建替えによりまだ使える住宅を廃棄するならば、もったいないことでもある。問題はどこにあるのだろうか。(090519)

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2009年5月14日 (木)

ハウジング雑考 9

LDKのLについて

「ハウジング雑考 8」の最後に、DKがLDKへと発展し、今や都市住宅のほとんどがnLDK型となっていると述べた。このnLDK型については、「いつまでもnLDKではないだろ」、「他にはないのか」、そして「代わる型提案をしない建築家は怠慢である」といった議論が、家族の変容やライフスタイルの変化に関連づけてなされている。が、このnLDKはなかなか“しぶとく”、様式「型」としての新たな展開は今のところない。

ところで、多くのnLDK型住宅の「L(=リビングルーム)」には、次の3点の“不思議”がある。

①多目的に利用されている。

そもそも、Lの考え方は欧米から渡来し、戦後すぐの建築家達による「モダンリビング」発想の影響を受けた、家族のだんらんあるいは接客のための空間である。現在でも、一義的にはそのための空間であるが、日本では家族だんらんが少なく、パーティの多い欧米とは違って気の張る客も多くないこともあって、他の利用目的も多い。家族の食事室、専業主婦の家事室、子どもの勉強スペース、洗濯物の一時取り込み場、父親の着替え場所あるいは来客者の寝室、など雑多で、要するに、「日本的」なのである。

この日本的多目的性は今後どうなるか? 生活文化に絡めて興味深い。

②DKでのイス座は定着しているが、Lは必ずしもそうでもない。

千葉県松戸市の市立博物館に公団初期の2DKが再現されている。見ると、DK横の和室にはカーペットが敷かれ、椅子と小卓の応接セットとステレオセット・テレビが置かれている。このDK横の個室がDKと一体になって使われ、しかもイス座でのだんらんが多くなっていったことが、公団でのL空間への転換、つまりLのスタートとなった。その後このL空間でのイス座での洋風だんらんが流行っていった。

ところが、その後イス座は必ずしも定着せず、冬は炬燵を利用し応接セットの椅子を背もたれにする、夏は炬燵の布団をハギ取って座卓にするといった現象が出てきた。その頃、裏打ちするように、全国レベルではあるが、応接セットの売れ行きが1981年をピークに頭打ちとなっていった事実がある。

それでも近年は、L自体も面積が拡大するなどで、再びと言おうか、応接セットも普及しつつあるようにも思える。結果、マクロにみるとイス座派とユカ座派が共存しているようでもある。

③横には和室がある。

 なぜか、多くの住宅のL横にはふすまを隔てた続き間和室がある。住宅を供給する側は、一生懸命需要者側の要求・意向を捉えて設計するわけであるが、その結果がこれである。需要者の「続き間」生活の“DNA”が残っていてそうさせたのではなかろうか。確かに、かつての田舎生活においてそうであったように、大勢の来客時には便利である。でも、すでに大勢の来客や集まりもなくなり、さらにはLの面積が拡大していることもあって、L横和室も減少化をたどるのではなかろうか。

DKについては、食事空間として固定され、すでにイス座が定着していることから、DK空間は今後とも不変であろう。とすると、上記のようなLの使われ方がどうなるかによってL空間が変化し、nLDK型に代わって、新らしい都市住宅様式の「型」が出てくるきっかけのひとつになるのであろう。(090514)

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